今更ながらマブラヴをやった。
いままでスルーしていたのが申し訳ないくらいに、明らかに僕らに向けて発信されたゲームだったので、僕らが話題にすべきだろうと思えた。
一言で表せば「マブラヴはガンダム」だった。
「マブラヴ」は2003年2月、続編で完結編の「マブラヴ オルタネイティブ」が2006年2月に発売。
発売時期を考慮すれば「21世紀の1stガンダムを作る」などと言っていた某アニメと、それをとりまく騒音を思い出す。
その祭りの裏路地みたいな場所で、もうひとりガンダムをやった奴がいる。
あっちが801ならこっちはエロゲだ。
これ以降は仔細なマブラヴ批評になるけれど、ガンダムを知っていればネタ割れる要素は皆無なので、その辺はあまり気にしてません。 各自注意を。
たまには本気でガンダムの話。
戦争とは無縁に暮らしていた少年が、突然の戦火にまきこまれ、自分の意識とは無関係に巨大なマシンで戦うことを強制される。
同様に戦うしかなくなった同年代の戦友との摩擦。 戦場で体験する出会い、別れが少年を成長させる。
そのなかで人類を救うかもしれない特殊な力に目覚め、エースパイロットとして活躍していく。
これがマブラヴとガンダムから専門用語を抜いただけの、非常におおまかなあらすじ。
あたりまえのように完全一致。
以降で仔細に検証するけれど、マブラヴという物語はアムロ主観の1stガンダムをトレースすることが大きな目的になっている。
まずは序盤。サイド7が戦火にまきこまれる場面。
マブラヴの場合は、お節介な幼なじみと生活する平和な世界から、地球外生命体に侵略されている別の世界へと、唐突に放り出される。 平行世界、パラレルワールドとか、時空超越なんていうキーワードを出した方が、SF好きには理解しやすいかもしれない。
外見は大きく異なっているけれど、「平和な日常から戦争へ」という流れは変わっていない。
フラウポジションのキャラには、フラウだと気づけないくらい強烈な「朝起こしにくる属性」が与えられていたりもする。
その後は、再会したクラスメートと結成される訓練小隊が、ホワイトベースのような役割になっていくのだけれど、ここからが面白い。
ガンダムの場合は、ここからシナリオの中心はアムロを離れてしまう。 アムロの知らない場所で、連邦の新型を叩いて武功をあげたいガルマと、それを利用してガルマ暗殺を謀るシャアの企みが描かれる。
そしてガルマ国葬。 有名な「これが…敵…」のシーンで、はじめてアムロが敵を認識して、第一部完。
これがマブラヴの場合だと、主人公は知らないうちにオルタネイティブ4なる計画に利用されていたこと、それが失敗したこと、代わるオルタネイティブ5計画は人類の地球脱出計画、ようするに敗北したことを唐突に知らされる。
主人公は最後の反抗作戦に参加し、デッドエンド。
いかにも唐突なエンディング。
以降は完結編である「マブラヴ オルタネイティブ」に続く。
大きな謎を残しての後編に続く展開は、物語としての正道よりも即物的な理由、ようするに続編を買わせるためにとってつけたような展開に見えてしまう。
筋書き通りなら、オルタネイティブ計画の伏線を小出しにするとか、もっと上手いやりかたがあっただろう、と。
なのだけれど、これがガンダムをトレースする目的で書かれたとすると、印象がガラリと変わってくる。
知らぬ間にシャアの陰謀に利用されていたアムロの状況を再現するためにも、あの唐突なエンドが必要だったのが理解できる。
自分の打倒すべきものがオルタネイティブ5計画だと自覚するのも、ザビ家をみたアムロと同じ状況。
ついでに、主人公を利用してオルタネイティブ4計画を進めていた香月夕呼が、マブラヴにおけるシャアのポジション。
ガルマ戦死の責任を追及されて左遷、酒を煽るシャアの有名なシーンがあるけれど、夕呼先生もオルタネイティブ4の失敗でやけ酒を煽るシーンがあったりする。
計画が失敗した原因は、主人公が「坊やだから」なのも気が利いている。
さらに蛇足になるけれど、この夕呼先生というキャラがとても面白い。
ギャルゲ目線で見ると、攻略対象というよりサブキャラ寄りのキャラだけれど、ガンダム目線だと最重要キャラのひとり。 だってシャアなんだもの。
しかし、シャアに見えない。
「マブラヴはガンダム」だと確信してみると、コイツがシャアなんだとわかるレベル。
さらに一歩進めて、「夕呼はシャア」と意識してみると、びっくりするぐらい作りこまれていて感動する。
下手に扱うとパロディにしかならないシャアを、上手く解釈して消化しているし、他の作品のシャアクローンと比較しても、かなりの異端児。
天才型で策略家という基本造形を押さえつつも、大胆に味方に配置。 目的のためには手段を選ばず、主人公を利用しつづける。 そういう形で、最初から最後まで主人公の前に立ちふさがる壁。
精神的な意味で「あの人に勝ちたい」と思わせる、主人公の一歩先を行く大人、というのがシャアの本質だと解釈しているのも素晴らしい。
閑話休題。 この後は続編のマブラヴ オルタネイティブ。
主人公は再び全ての始まりの日、10月22日にループする。 前回の敗北の記憶を持ったまま、打倒オルタネイティブ5計画を目指すことになる。
この主人公の特殊な境遇。 異世界や未来の記憶によって人類を救う可能性を持ち、特殊な経験値が高いパイロット能力の裏づけになっているという要素。 これがガンダムのニュータイプに代わる要素として機能してくる。
平行世界やループの設定は使い古された感があるけれど、ニュータイプの代替品として使うのは斬新なアイディア。
主人公の境遇を唯一知るのが、前述の夕呼先生。 シャアとアムロを繋ぐ要素としてのニュータイプも意識したキャラ配置になっている。
というわけで、本編の続き。
ここまでは「そういう見方も出来る」とか「ガンダムと仮定すると印象が変わる」くらいの流れが多かったけれど、ここからは重要エピソードがストレートにトレースされていきます。
まずは最初の世界に一時的に帰還する「再会、母よ」に相当するエピソード。
平和な世界の人々との再会し、それでも仲間のために戦場へと帰る決意を固めます。
続いて、ランバ・ラルのエピソード。
ジオン・ダイクンの思想を私欲のための道具にするザビ家という構図で、ジオン・ダイクン派の軍人だったランバ・ラル。
ジオン・ダイクンを将軍家に、ザビ家を政府に置き換えたランバ・ラルのポジションになる軍人と、主人公達は戦うことになります。
その戦いで主人公は「みずからの手を汚すこと」についての覚悟を迫られる。
ランバ・ラルの敗因も、今は亡き上官の娘と戦場で再会し「戦いの中で戦いを忘れた」ことと、見事に一致。
正規軍への配属。
マチルダ戦死に相当する、優しかった大人の女性、訓練教官の神宮寺先生の戦死を体験。
時系列は前後してしまうけれど、ここで主人公の逃亡劇も。
さらには、ガンダムで連邦が反抗に転じる時期とあわせて、マブラヴでも人類が反抗の糸口をつかむ。オルタネイティブ4計画の完成。
大規模な基地侵攻で大軍がぶつかり合う「甲21号作戦」はジャブローを再現。
ここで夕呼(シャア)ひきいるオルタネイティブ4計画の目的は敵戦力の偵察。
圧倒的な力を見せつけるも、機器の異常で敗走するところまで、「復活のシャア」が再現されます。
同時に、この作戦でミハルとリュウ・ホセイに相当する仲間が戦死。
リュウとは思えないくらい派手に戦死するのだけれど、逆に劇場版でのリュウの扱いの悪さを嘆くレベルのガンダム濃度がビリビリと。
その後も、性的な慰めものにされていたのを、夕呼(シャア)に見いだされ巨大兵器のパイロットになるメインヒロインは完全にララァ。
といった具合で「めぐりあい」以降の展開も、順調にトレース。
具体的には、ラストシューティングからコアファイター脱出、「帰る場所がある」までキッチリやり遂げる。
と、まあ、ここまで一気に羅列しまして、マブラヴ未プレイで読んだ方なんかは特に「完全にガンダムだこれ」と思ったかもしれないけれど、実際にプレイしているとほとんど気づけません。
実際に、あんまり気づいている人もいないみたい。 でも、これガンダムでしょ?
当たり前だけど、ガンダムのパクりだ!なんてレベルの話がしたいわけでもなく。
もの凄くストレートにいって、ガンダムSEEDと比較するなっていうのが無理な話なんですが、比較してしまうと21世紀の1stガンダムとして成立する作品としては理想的だと思える。。
理想なんだけれど「富野に見つかったらぶっ殺されるぞ」と思えたり。 いや、逆にそこが良いんだ、とかもう複雑な心境にさせられます。
まずは、ガンダムのパロディは徹底してやらない態度。
ガンダムのパロディにせずに、真剣にオマージュするために、きちんと独自に解釈して、再構成されている。
あとは、ガンダムと同じことをしつつ意味は違っているシーンと、180度違う状況が結果として同じ意味を持っているシーン。 そのバランス。
ガンダムをモチーフにしながら、マブラヴというひとつの作品として成立させようともしている。
「21世紀の1stガンダム」なんていうなら、これっくらい深くガンダムを掘り下げて欲しかったよねっていう愚痴。 SEED時代に良く聞いたけれど、そういう意味で理想の非富野ガンダム。
この辺りは、当時のSEED論争を思い出して、血が熱くなる。
誤解して欲しくないのは、アンチSEEDかというと、そうでもないところで。
開発時期を考えれば、SEEDを意識してると思うけれど。 主人公が保志総一朗なのも偶然とは思っていないけれど。
例えば、マブラヴにおける平行世界、パラレルワールド設定。
よく似た人物がいる、よく似た世界がいくつもあるわけですよ。 同じ名前のキャラクター達が、違う人生を歩んでる。
その中のひとつ、マブラヴ オルタネイティブの世界ってのが1stガンダムだとすると、他の世界ってなんだろう、と考えたくなる。
例えばね、ガンダムが存在する世界がいっぱいあるわけです。 ある世界では連邦の白い奴だったりする。 ある世界では髭が生えてたりする。 ある世界ではガンダムファイトしてるかもしれない。 宇宙世紀かもしれないし、アフターウォーかもしれないし、コズミック・イラかもしれない。
このパラレルワールド設定が、∀ガンダムの黒歴史設定のような「ガンダムを総括するための設定」だと思える節が幾つかある。
そこで「全ての世界の純夏を愛する」っていう告白。
ガンダム全肯定。
「あいとゆうきのおとぎばなし」という煽り文句も、∀ガンダムを連想させる。
21世紀の1stガンダムをやるために、ただ1stガンダムを再現するだけじゃなくて、重要な21世紀の部分。 ∀ガンダム以降の作品としてガンダムやるならどうするべきだ?ってのを考えた結果に見えてくる。
そういうレベルで、∀ガンダムまで意識した上での1stガンダムだとすると、全体的な設定が全くガンダムしていないのも良い。
どういう風にガンダムやろうかな?って考えて、まず対立してる二つの勢力があって、軍隊があって、って発想になる。 数多のガンダムクローンはまずコレ。
そんななかで「エイリアンと戦う話でガンダムやるべきだと思う」っていう発想。
富野流の作法っていうのは、そういう反逆心を含んでいるべきだと思えるし、ロボット軍隊同士で戦争やったからガンダムかっていうと、そうじゃないですよねっていう提言。
だってね、ガンダムの宇宙世紀の世界にマブラヴでいう侵略者、人類共通の敵が設定されていないか?というと、されてるんですよ。
環境問題とか、人口増加とか、化石燃料枯渇だとか、当時の世相を反映した人類共通の敵が大きく設定されていて、ジオンとか連邦とかに分かれてお互いの利益で争っている場合じゃないよねっていう結論がある。
だから、お互いに理解しあわなきゃ駄目だよっていうメッセージが軽くない。
富野が関わっていないガンダムでは、喧嘩は悪いことだから喧嘩しちゃいけませんってレベルでしか戦争を描けていない重大な過失がある。
それじゃあなんで戦争しちゃいけないのか、何が悪いのか全然わからない。
SEEDや00の世界に、5年後に大隕石が地球に落ちて人類滅亡するので、戦争してる場合じゃないですって設定を加えるだけで、どれだけマシになるか想像してみればいい。
まったくアホらしい。
いかん、SEEDや00を叩きたいわけじゃなかった。
誤解を恐れずに言えば、THE ORIGINだってマブラヴほどガンダムじゃない。
マブラヴはガンダムとして赤裸々過ぎるくらい赤裸々で、そこが眩しい。
自分の価値観に正直で、正直な価値観を物語に乗せるから、言動に魅力が生まれる富野手法。 いわゆる「パンツ脱ぐ」というやつ。
そういう「パンツ脱ぐ」手法を、富野作品で人格形成された奴がやったらどうなるか、という面白さ。
例えば、主人公が「何のために戦うのか」という話が、全編通して何度も何度も出てくる。 最初に主人公がもっていたのが、漠然とした動機としての世界平和。 軍人なのだから当たり前という思考。 僕には「エロゲ作るのが仕事だから」なんていう動機に思えてくるのだけれど、それがまっさきに「甘い考えだった」と切り捨てられちゃう。
そこから、自分が戦うためにはまず原点に帰り、自分の立脚点を求めなければならないと考えはじめる。 ガンダムをトレースしながら、なんでガンダムをやらねばならなかったかが語られるに等しい状況。
その先も、自分が自分のために戦うのを仲間は許してくれるだろうか、なんて苦悩がはじまる。
あげく、この視点で物語を読んでいくと、最終的に「マブラヴの本質がほとんど理解されないのも承知のうえで俺は戦ったので、正統に評価されなくても構わない」なんて場所にまで行き着いてしまう。
詳しく解説するとラストの展開を解説しすぎてしまうので自重するけれど、たぶんコレはブラフじゃない。
ブラフじゃないと思えるからこそ、マブラヴはガンダムだと言いたい。
それも、僕の価値観でかなり狭い定義でのガンダム。 もちろん良い意味で。
はっきり言えば、とても手放しで褒められない部分もあるし、失敗だなと思える部分もあるのだけれど。
それでも、ここまで真剣にやった結果の失敗は、かえって深く心に刺さる。
久しぶりにガンダムの新作を見たような、ガンダム30周年おめでとう!って素直に喜びたくなるような、とても素晴らしい体験ができたのが嬉しくてしかたがない。
こんな大型爆弾を投下してくれた、マブラヴの全てのスタッフにこう言いたい。
そなたに感謝を!